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映画「いのちの山河」が松山地区活動センターが上映されました

映画「いのちの山河」が松山地区活動センターが上映されました。
まちづくり楽会では、今回の研修旅行、事務局の山本氏の提案もあり、「いのちの山河 」の旧沢内村を訪ねてみようかと、数が月前からプランを立てて、会員諸氏に案内をしておりました。
上映日から程近い5月25日、6日実行すべく、すでに宿泊所と、コースはインターネットで検索してプランをたてました。
地図で検索すると、旧沢内村は岩手県でも、秋田県境に程近い山峡の地でした。宿泊はひなびた夏油温泉や村内にも温泉があり迷いましたが、「沢内銀河高原ホテル」をリザーブしておきました。
上映会は多くの人が詰めかけ、立ち見の人もいらっしゃるほど。映画は昭和三十年代、まだまだ貧しい寒村の沢内村に限らず貧しい時代、豪雪地帯の沢内はおして知るべし。
乳幼児の死亡率、高齢者の医療など深刻な問題でした。
深沢村長は一関中学から第二高等学校理科から東北帝国大学法文学部卒業の村の俊英でした。
医学部の道もあったはずですが、その道を選ばず、台湾総督府、満州拓殖公社など勤務、終戦の動乱も経験されて復員、農業に従事しながら、村の教育長、そして村長になり、命を賭けて村の改革に奔走した人でした。
映画のラストシーン、地元の人もエキストラで参加して撮影された、クライマックスでは思わず涙してしまいました。

ウエザーニュースでは、余り良い天候ではないらしい、しかし、東北道を北進していくと、雨上がりに薄日も差して、東北路の新緑が眼にも鮮やかに飛び込んでくる。
予定通り、遠野の道の駅「遠野ふるさとセンター」に到着、一息入れて市内、駅近く「伝承館」は郊外に移設されていて、跡地にある、蔵作りの小洒落た軽食のみせで、それぞれ好みの食事を、小生は「いなり蕎麦」にトライ、おいなりさんの具がそば、生わさびがきいてなかなか美味・・・。
旧旅館やら蔵が残されて、ふるさとの語りや資料館にもなっていた。
朗読劇をされている秋山さんのご主人のリクエストで、遠野の語り部のCDを購入されたりと、ひとときを過ごし、民話の舞台かっぱ淵へ、郊外の田園の一角に、「かっぱ淵」の案内があり、車を田んぼの傍らにとどめ、流れに沿って歩を進めると、寺の脇に小さなほこらと陶器製カッパの夫婦が鎮座ましましていた。
田んぼでは、今では珍しくなった、手植えでの田植え風景に思わずカメラを取り出し、シャッターを切る。
夜来の雨で滔滔と流れる水路と緑豊かな田園風景に心洗われる。となりのお寺を散策して午後のひとときを過ごし、「遠野ふるさと村」は程近い。
ここは、遠野市と民間が関わる公社と言う形態で運営されている、古民家を主体とした施設である。
カッパ淵近くの「伝承館」と似た施設だが、こちらのほうが、広大な自然の中に移設されて点在する様は、田園の佇まいを再現して、観光臭が薄く好ましい。
ボランティアとの会話を楽しんだり、風景と余りにもぴったり老婆の、縁側でのどれも100円の手作業に眼をやる。
古民家でオーダーをすれば、語りや食事も出来るようだ。学生のグループが語りに耳を傾けていた。
中年のグループは、床の間で食事をされると言う事でした。
台所の釜は煮炊きと言うより、家畜のために湯を沸かし、茅葺きのメンテナンスのためでもあるらしい。
ただ茅葺きの吹き替えに40,000,000円を要するとのこと、しかし、ボランティア氏の仰るには、この施設、ほぼ収支とんとんとの事で、それなら充分では無いですかと申し上げた。
今日は、雨の中の散策を覚悟をしたが、すっかり晴れ上がって、古民家の持つ重厚な安定感のなかで、静寂な空気を満喫できて、この研修旅行の目的の半分以上達した気分。

二時過ぎに現地を立って、沢内を目指す、ナビは北上経由で案内すると思ったら、花巻南温泉郷通過の道を案内、ダムを渡って渓谷を行く、山深く分け入って、沢内へ、一番奥まった、まさしく和賀山の麓、高原に文字通り「銀河高原ホテル」はあった。
ビール工場が併設された、北欧風の立派な施設だ。
高原の森を目前に、ゆったりとしたスペースが確保された館内。サウナもある温泉にゆったりとつかって、身も心も旅人の浮遊感に身を任せて、銀河高原ビールは皮切りに地酒に、地元の食材を楽しむ。
リーズナブルな料金とは思えないほど、もてなしの心が伝わる料理と、タイムリーに運ばれるそれは、充分楽しめた。
地元の方担当される方の言葉と接客にも、それが感じられる。いろいろな国を訪れているが、日本のこうしたサービスは、世界でも最たるものだと、正直にそう思う。
興に乗り「南部牛追い唄」をひとくさり。
部屋に戻り「般若心経」を誦したのも覚えていたが、翌朝盛り上がりすぎたことを自己嫌悪とともに自戒する。
翌朝も付近を散策、丁度出ていた、「タラの芽」を採取して持ち帰った。
朝食も、地元の婦人の丁寧な接客、うまそうに蕗味噌を食べると、気を回して、お代わりを持ってきてくれる、さらには地元話題なども話してくれる。
深沢村長の村おこしと、心がこういうところにも、愛村心として伝わっているのかなと思う。

深沢まさ雄資料館は、村の中央旧沢内村役場と、隣接する沢内病院に挟まれる格好で建つ小さな資料館だ。
映画が上映されて、我々のように、訪れる人も増えているだろうと思われる。
到着したときは、どなたもいらっしゃらなかったが、出されたコーヒーを頂きながら、ビデオを拝見していると、マイクロに乗車した、盛岡からの高齢者の一団が訪れた。
昭和37年に策定された「沢内村地域包括医療計画」に目標
1すこやかに生まれる
2すこやかに育つ
3すこやかに老いる
これらの目標を実現するため
●だれでも(どんな貧乏でも)
●どこでも(どんな僻地でも)
●いつでも(24時間365日生涯にわたり)
と書かれている。
具体的に村長に昭和32年無投票当選すると保健婦3人配置、保健委員会を発足させて地域医療、生活改善に早速あたっている。
よく33年ブルドーザーを購入除雪、開墾に力を発した。
昭和34年には東北大学へ幾たびか訪れ医師を迎え病院体制を整える。乳児死亡三分の一にと記される。
昭和36年乳児と60歳以上の医療無料化。
昭和37年全国初の乳児死亡ゼロ達成。
昭和38年盛岡までの冬季定期バス確保
母子健康センター建設 自治体初の岩手日報文化賞受賞
と毎年めざましい業績を残している。
そして昭和40年癌に冒されて逝去・・・小生の小中高校から大学入学時に重なる時代だ。
管理されている女性の方も親切に接していただいた、今では人間関係が希薄になり、こうした風景は少なくなったが、車が去るまで手を振って見送っていただいた。
山本氏が村史を購入するとかで、旧沢内村役場に立ち寄り、山深い沢内の里を後にした。

横手は沢内を川沿いにくだった、錦秋湖辺りで横手への国道に合流、1時間もかからないくらいで横手城に到着。
歴史探訪のグループが説明員のお話を聞いている、その脇を通って天守閣へ、秋田藩出城で秋田藩が新政府側についたため、東北列藩同盟側に攻められたらしい。
入場券は100円四4カ所巡れるらしい。
城下街の真ん中にし役所併設されて「横手ふれあいセンターかまくら館」はあった。映像で映し出される横手の四季を看てから、かまくらへ入ってみると、ドアーを開けると、全くの冷蔵庫の中、本物の雪でつくられた、ほんもののかまくらを、体験できる。
横手の物産も購入できる。稻庭うどんやら、漬け物やら購入。
横手の名物の焼きそばを、館の前の店に入り食す。なかなかいい感じの焼きそばだつた。
石坂洋次郎は、津軽は弘前出身、慶応大学経済に入学失敗、予科に入学後文学部へ。
故郷弘前女学校で1年の教職、横手女学校で3年、横手中学で10年の教職。
次に立ち寄った「石坂洋次郎文学記念館」
明治33年生まれ、我が故郷の作家内木村治より6歳年上と言うことになる。
「若い人」は昭和八年三田文学に発表、好評を得たと書かれている。小生が高校生の頃か、吉永小百合と先生役が石原裕次郎で日活映画、これは観た記憶がある。
高校時代は野球をやったりで、余り本は読んでいなかったが、この頃の高校生には石坂文学は必読の書だつたと思う。
懐かしい青春スターのポスターなども提示されていた。
後三年の役の資料館と4カ所巡って100円とはいかにも安価、時間が許せばその資料館も寄りたかつたが今回はあきらめることに。

鳩山政権はいま普天間飛行場移設で大きく揺れている、今日社民党が政権から離脱することがほぼ確実になっている。
日米安保は現実無視はできない、日本の現実であることは、誰しも疑いはない所であるが、国も、地方も、そして個人も「自立」という原点に立ち戻る時期に来て居ると思う。
安全保障、経済、いずれにしても従属するスタンスから、健全な精神、暮らしは生まれてこないだろう。
沢内村の深沢村長から学ぶことは大きい。ひとびとのまなざし、心意気からも、彼の思いが綿々と繋がっているような気がする。
初夏の雨の間を縫うようにして、辿った今回の研修旅行、リラックスできて、かつ、沢内の心根を感じながら愉しい研修旅行だった。

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