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平成21年6月19日・20日 グリーンツーリズム紀行・研修旅行

 今年のグリーンツーリズム紀行・研修旅行は、岩手県の、NPO法人北上川流域連携交流会を訪問する事になりました。
事務局長の山本正史さんの提案で、北上川流域連携交流会の方との交流と、現地視察で、出来れば、川船の体験が出来たらと言う、勝手なお願いを、相手方事務局へメールを送信しました。
返信がしばらく有りませんでしたので、相手方も、扱いにお困りになられたのだと、想像して居りました。
今回は、交流なしで行こうかと、日程が確定しておりましたから、宿泊地、周辺探訪の地をサーチしておりました。
その後、NPO法人北上川流域交流連携交流会から、正式に受け入れる旨の返信を頂きました。

 6月19日20日、例年の実施時期より、10日程度遅い時期に当たり、梅雨空必至と思っていましたが、梅雨入り後、一向に雨なし、当日も晴れマーク、早朝の出立、一路東北自動車道を北上、最初の訪問地は、遠野、曲家の農家と、伝説のふるさと。
順調な速度で、宮城の穀倉地帯を通り過ぎると、やがて、一関、今回の訪問地、しかし、最初訪問地の遠野を目指す、平泉をやり過ごして、花巻郊外の釜石自動車道のインターで降りる、2,3年前、早池峰山登山で降り立ったインター、まだこの先の工事は手がつけられていないようだ、花巻から、三陸鐵の街・釜石、さらに、三陸海岸を山田へ向かう、JR線と併行に走る。
新緑の緑の山々と川沿いの道は心地よい。
嘗て、高校三年の夏、東北旅行を敢行、SLで走った鉄路、さわやかな感じの同世代の女性にものを尋ねたら、東北なまりを気にしてか、立ち去られてしまった。
確か、この辺だったと記憶される。
鉄路は峻険な山道を越えてようよう、釜石に至る、「おい海だ海だ、、、」「海がそんなに珍しいかい、、、」
海産物らしきを包んだと思われる、大きな包みを席に置く、おばさんに笑われてしまった。
、、、野球をやった仲間のHと応援団長のOとの三人旅行。
数十年経っても鮮明に思い出すのだから、感受性が旺盛だったんでしょうね、若者よ旅に出よですか。
NHKの「一筆書きJR完全踏破」何て言う番組でも、紹介される、ローカルな鉄路、明治の先人達が、鉄路に国家経営を賭けたのが偲ばれます。

 花巻から数十`、渋滞もなく花巻の地へ到着、高速道、マイカー、嘗ては相当な覚悟で訪れた地も、7時間ほどで訪れることが出来る。
ナビや、事前でのサーチもあり無駄な時間がほとんどない。
市立博物館は、城跡の麓にあり、図書館と隣接、図書館の駐車場へ置かせて頂く。
映像で、遠野の昔語りを見せて頂く、遠野を訪れ、遠野を楽しむには、事前学習の場として相応しい。
遠野は三陸釜石と、花巻とのほぼ中間に当たり、旅人は必ずこの地に宿を取らなくてはならなかった。
海と、内陸の物産と共に、人々の交流がこの地に多くの物語を残したようだ。
 「遠野ふるさと村」は遠野の郊外、10`ばかり市内から離れた、山間にあった、其程事前に知識は有りませんでしたが、広々とした駐車場に車を停めると、正面にビジターセンター、ここで食事、ビジターセンターで、入村料を払って足を進めると、なだらかな里山の傾斜地に、曲屋の広壮な佇まいが、ごく自然な集落を形成するように、点在、しかし、曲屋は、肝煎り、庄屋、代官クラスの屋敷、このように、宏壮な屋敷が、一所に点在することは、なかったでしょう。
水車小屋、蔵、そして、木々の佇まいなど、自然とマッチして、ゆるやかな風景、公的資金を導入したはず、変にテーマパーク風はないのがいい。
初夏の風と明るい日差しと相俟って新緑と古民家の佇まいが心地く点在。
遠野の歴史、伝統に対する思いも伝わって来る。
大きな座敷に大の字になって、車のシートに拘束された、脊椎を伸ばしてみる。
大きな骨組みと、茅葺きの造作は、自然と向き合って生きた、当時の人々の、力強さを感じさせる。
台所で焚く煙が懐かしい、にほひを伝えてくる。維持管理のためのものだが、、、。

傾斜地を下ってやや小振り農家、「氷」と書いた旗にひかれて、古民家の休みどころへ、しかし、これは、ここで最古の農家で、有形文化財。
小豆かき氷を頼んだつもりが、小倉あんとバニラが来る。返品もなんだから、これにかき氷を載せて貰う。
結構これが行ける。
別世界を充分楽しんで、ビジターセンターへ、平成10年頃移築したそうです。全く地形佇まいがマッチしているので、何棟かもともとここにあったのではと、尋ねてみたが、全て移築とのこと。
高校生か、若者の一団が、屋敷の前で記念写真を、今の若者にとっては、時代劇のセットのようで、現実感がないのかも知れませんね。
こうした、古民家も次々に姿を消しつつ有る中、地域で可能な限り、移築するなど、保存と共に、先人の環境との調和を学習する為にも 地域の、こうした有形文化財を積極的に生かし、活用の知恵が求められるのではないか。
経済とか、予算とかの域を超えた、地域の英知が試される。
日頃、何かと仕事に結果を求められ、やや厳しいところに身を置く身にとって、ひとときの安らぎを得た思い。
東北の野はのびやかだ。

 五時までには、一関に戻らなければならない。北上川流域250`の地域、市民団体、行政を連携させる、NPOも法人北上川流域交流会の皆さんが私たちを迎えてくださるとの事になっている。
当方は、事務局の山本正史さん、副代表の、小澤民雄、屋代明子、会計監査の秋山きよさん。今回市内野田に開設された我が法人の活動拠点、風と土の館・野田の館長を引き受けてくれた、田島謙一理事、それに、代表理事を仰せつかっている、私、石川邦夫の六名でお邪魔することになりました。
例年この研修旅行のレギュラーメンバーです。

 五時の約束、ホテル前に、事務局長今回の、交流会の繋ぎ役のを果たしてくれました、小山田準さんだ。
肩幅も大きく、頼りになりそうな骨柄、お年は我々とは一世代以上お若さそうだ。早速ご挨拶させて頂く、まもなく、理事長さんの吉田幸助さんにお目にかかる。
NPO法人の 名刺共に、北緯四〇度、北上側源泉と書かれた、個人用の名刺も頂く。
この一関には、わざわざ出向いて頂いたようだ。
このホテル、サンルート一関を常宿にされているとのことです。源泉から会議には一関まで、常に遠路お出でになっているのでしょう。
このホテルの社長もメンバーらしい。
お二人に伴われて、ホテルからまもなく、駅構内に有る、居酒屋に落ち着く。
メンバーで、別に北上川中流域環境ネットの代表、千葉登さん、背筋のピンとしたジェントルマン、磐井川はこの一関で合流する川だ。
このように、流域250`の地域と団体をまとめて、ネットワークしているのが、今回のNPO法人と言うことだ。
千葉さんは、隅田川サミットの会員でも有られるらしい、荒川上流の大滝にも行かれた由。
専務理事の大内健衛さんは、教員生活をされていたとのことでした、カヌーが趣味と言う方です。
コンドルが飛んでいるを口ずさまれた。翌日の会話で、江刺市にお住まいとのこと、私と同年代らしい。
江刺市出身、私の大学時代の仲間「刀根文子という人がいたなぁ、、、」と申しあげると「小中高と同窓、、、」ここで大学時代の学友を知る人に遭遇するとは、なんと奇遇だろうか。

 居酒屋さんでしたが、流石海にも直結、海産物も新鮮でおいしく頂きました。
ホヤは東北の名産、これも、勧められるままに賞味、地酒、関山の純米酒もなかなかでした。
皆さん、勿論私たちも決して若くはないのですが、酒の飲みっぷりもなかなもの。
興に乗じて、津軽山歌、地元の唄、南部牛追い唄を披露、さらに宴は盛りになりました。
お誘いもあり、カラオケの歌える店に繰り込み、さらに、大いに歓談盛り上がった。
当方としては、今回のご対応に気の引ける思いも多分に有ったのですが、理事長の吉田さんが、「こういう、交流良いですね、、、」冒頭仰って頂いて、まあ少しはほっとしていたのですが、皆さんの、「まあ受け入れてやろうじゃないか」と言う広やかな、お気持ちが、伝わってきて大変嬉しかった訳です。 岩手県の皆さんの心意気でしょうか。

翌朝、9時フロントに集結、国土交通省が運営する、あいぽーとへ、川岸の高い位置に有りました。
嘗て訪問した、滋賀県の琵琶湖畔にある、水の博物館の、川版と言うところでしょうか。ガラスを多用した、開放的なしゃれた建物でした。
ガラス越しに、帆のついた萱船が見える、同行の女性が「今日はあれに乗るのかしら、、、 」(失笑)ご愛敬ですね。
機械室の一室をNPOが使用しているらしい。
理事長から、概略説明を受ける、北上川流域60余団体・NPO 法人5団体を含む。
地域と市民団体を統轄する、大きな、相当影響力を有するNPOでと言うことだ。
国土交通省・岩手県等の行政はもとより、大学、企業、土地改良区、漁業組合、市民、勿論小中高などとの連携、支援などの様々な活動がドッキングされている。
学校対象のリバーマスタースクールも大がかりに取り組まれている様子。
子供達も、塾や、クラブ活動に分散していくのが悩みとか。
しかし、子供の成長、一直線と言うことではないので、様々な市民サポートが、それはそれで、充分存在価値は有ると思います。
この法人、流域の各リーダー、理事に14名。
社員、会費2万円が20名ほど、理事に重複もありとか、会員会費3000円。

1・地域の人材育成に関する事業。
2・水環境の保全・水辺創造に関する事業。
3・歴史文化の理解と活用に関する事業。
4・交流・流域連携推進に関する事業。

いずれにしても、多様な市民団体を統轄するのは、吸引力が求められる、魅力有る活動・事業の提案、人材確保、資金確保など、課題は同じだと思います。
ただ、北上川流域の団体、地域、行政、とりわけ行政との強い連携は、関東のNPOとの異なる所だと思います。

 下流の旧川崎村、今の一関市、川崎地区へ移動、北上川と砂鉄川の合流する地点に、防災センターと、役所の出張所を兼ね合わせた施設が有りました。
高台に有る施設は防災に関する資材や、防災対策室などの機能などが設置されている。大きな建物は、川の調査、巡視などを行う19人乗りの船の収納庫になっている。川面に至る数十メートル程ももある傾斜に、船を上げ下げする装置となっている。
わざわざ地元のNPO法人の代表理事さんがご挨拶に。
名刺交換したはずでしたが、バタバタして、見失い、お名前が出て来ないのが残念、失礼しました。
女性副理事長さん柏 真喜子さんもわざわざお出で頂きました。この船に乗船はお初とのこと。
時によって、積極性が鈍る事もありこちらから、お声がけできず、失礼しました。名刺交換のご挨拶はさせて頂きましたが。
あいぽーとの専務理事さん阿部栄男さんもカメラをお持ちになり同行して頂いた。
現地の理事長さんとご挨拶の途中で川面から船を出すとの声が、、、慌てて傾斜地を小走りに駆け下り乗船場へ。キャサリン台風、平成14年の台風時の水位等がが大きく示されている。
この近辺はとりわけ川幅が狭い為、水位が上がりやすいのでしょう。

 初夏の川面は、天候にも恵まれ、絶好の川下りの日和となりました。空を見上げると猛禽がゆったりと遊弋、川辺に青サギらしきが、羽を休める。
蛇も横切っていった、
途中横石という所を通過、船運のため明治時代、ダイナマイトで爆破、通過に支障がないようにしたとのこと。
道路や鉄路が充実する以前、物産は勿論、城郭の石垣を造る大きな岩もこの川を使って運んだと言うことのようだ。
古代より、この地の人々にとって、母なる川であり、ふるさとの原景として心に刻まれているのだろう。
石川啄木、宮沢賢治、そして多くのひとびとにとっても、北上川なしには語れない。
北上川は、日本列島の脊椎に併行する形で走り、一関付近から海側へ向かう。
今回の船体験は、上流へ30分、下流へ向かって30分1時間の船旅、往復20`、時速約20`という事になる。
下船後、ライフジャケットを着用された、専務理事の大内さんに、水難時の救出のされ方を実演頂いた。

 この船(河川調査船ゆはず)のクルーは、公務の方かと思いこんできましたが、いわば、消防団員のように、一旦有事の時出動、本業を持つ方方が、多少の費用は出るとのことですが、今日も要請があって出たと言うことで、本当は出たくなかったんだと、本音を。
しかしまあ、親切に設備の概要をご説明頂いた。
流域ネットワークのカヌーや備品、なども施設の中に収納されている、水辺学習等ここでやれる、恵まれた環境に有りますね。
被災地の揚水のための、緊急発電付きの大型トラック二台や、ヘリポート、テトラポットを砂で覆ってあるゾーン。砂は土嚢に用いられるためのものだ。
ご丁寧なご説明、今回、一地方の市民団体の、一通のメールに、組織的にご対応頂き、重ねて感謝の気持ちでいっぱいです。
「NPO法人まちづくり楽会の皆様を歓迎する会」を急遽 、ご対応頂いたようです。
河川行政は勿論、都市経営のあり方も、市民参加が大きく問われる時代を迎え、各地での取り組みを取材させて頂いておりますが、これほど大規模に連携が行われている例は有りませんでした。
都市における多様な市民組織と、こうした 地方の大きなテーマの、市民組織の違いが実感出来た感じです。しかし、その大きい影響力には、感服の思いです。

 あいぽーと迄戻り、お別れのご挨拶をさせて頂きました。
事務局長からは、貴重な資料をお預かりすることが出来ました。
市内の蕎麦どころで、昼食をすませ、一路東北自動車道を走らせ、予定よりやや早く帰宅することが出来た。
遠路の旅、中身も濃かったが、すこし、皆さんお疲れの態、しかし、いたく感服の様子でした。

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