特定非営利活動法人 まちづくり楽会
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平成21年6月3日・4日 七尾市・株式会社御禊川と、地域まちづくりへのアプローチ

富山湾は豊饒の海だ、北アルプスの山々からから流れ出す名水、そして養分をたっぷり含んだ川の流れは、日本海の荒波と相俟って、豊かな漁場を作ってきた。
それに、日本海側、江戸期、リアス式海岸の浦々は、絶好の寄港地となり、北前船の経済波及を承け、各地で重厚な文化を培ってきました。

今回の、まちづくり楽会の、研修旅行は、石川県七尾市の、株式会社御禊川を中心とする、まちおこしを実地研修することになりました。
事務局の山本正史氏に、事前の交渉を担当して頂きました。私の方は、コース設定と、宿泊施設の選定、予約を受け持つ。
ネットの検索で、予算と、立地を考慮して、当初七尾市内の旅館を選定したが、ホームページの出来が充実、富山湾の対岸立山連峰の写真が素晴らしい、サンヒルズのとに目が移りました。
予算もぴったり、露天風呂も完備、しかも、温泉であるらしい。和風と謳っているのも良いかも知れない。富山湾だから、旨い魚にありつけるかも知れないぞと、秘かに期待もしました。

大分前に、6月3日・火、4日・水と決めてありました、まあ、梅雨入りには少し間がありそうだと、天気はさほど心配しておりませんでした。
しかし、昨年より20日も、例年より一週間も速く梅雨入り、例により早朝4時に出発、強い雨脚の中、関越から上信越へと向かう。
なんと、梅雨入りは、東海関東地区、今年は、九州四国より速い変則的な梅雨入りらしい。
北陸自動車へのジャンクション当たりから、雨脚は弱まり、最初の訪問地、高岡へはいる頃には、薄日も漏れ出しました。
高岡市は、加賀百万石、二代藩主利長により築城された、城址公園があり、休憩を兼ねて訪れる。
城郭の木々も、年代を感じさせ、梅雨時期の緑もひときわ美しく風情がありました。
今回参加して頂いた、村田文一氏の友人が、この地に居られると言うことで、携帯から電話をされました。
是非、国宝をご案内したいと言うことになり、急遽、高岡山瑞龍寺をご案内して頂くことになりました。
加賀二代目藩主利長公の菩提をとむらうために、三代目藩主利常公が建立したものだという事で、城址公園からさほど離れず、町の中心に3万6千坪の寺域を持つ重厚この上ない、寺院建築には圧倒される思い。
曹洞宗のお寺で、禅寺特有の清浄さを感じさせるものでした。江戸期に消失、再建されたものですが、平成9年に、山門、仏殿、法堂が国宝に指定され、その他の建造物も国の重要文化財に指定されているもので嘗ての、能登の経済力と政治力を窺わせる。木組みと精緻な寺院伽藍は見事なもだ。
拝観料も、富山県平和運動センター、事務局長、安念義孝氏にお世話になってしまいました。
安念氏、村田氏、それに私も偶然、同門私学であると言うことでした。
明治初年、維新国家建設のため、東京大学を中心とする、帝大が創設されると共に、私学も建学される事になる。
多くの私学が、実学、もしくは、宗教学校が建学された中で、唯一哲学を講じる学校であった。
余資なき者、余暇なき者にも、学問の機会を与えると言う、学祖の建学の精神があり、今で言う社会教育と言うべき、内容をも持つものでした。
北陸の地で、平和運動に挺身する、氏の半生に、学祖もその成果を見るのであろうか。

今回の研修地は、前述のように、能登半島への喉仏とも言うべく位置にある、七尾市、民間まちづくり会社とNPO法人による御禊川再生事業の現地研修だ。
高岡市から、七尾市小一時間の距離、丁度お昼時に現地入り。
途中携帯からお電話をさせて頂き、案内に従い、旧市街と思われる町並みを通って、やがて、小さな川をわたると、古風な蔵づくり風の黒い建物が目に入る、車を進めると、株式会社御禊川の社長、森山奈美さんに出迎えて頂きました。
石畳の河岸の道ばたに車をとどめ、中に案内される。
中は旧十二銀行をリニューアルした、立派な建物、この地域まちづくりの拠点となるもので、地場の特産品と、地場の食材を使ったレストランも併設されている。
薄味で旨味のある料理、刺身も地場のものらしく、新鮮でおいしく頂く。しちり亭と名付けられたレストラン、しちりとは、この地で生産される伝統的な魚醤らしい。
森山奈美さんから、食事のあと、七尾市のまちづくりの取り組みを順序立ててご説明頂きました。

万葉の時代から、この地は天然の良港として栄えてきたと言うことです。
のち、守護大名畠山氏の支配下になり、徳川期は前田家の所領として、能登の中核都市としての位置をなしてきました。
加えて、徳川期、北前船の寄留地として、経済波及はもとより、文化的な波及も大きなものがあったことは、想像に難くありません。
高度成長期と、モータリーゼーションの到来と共に、従来の社会構造が大きく変化し、能登自動車道も一直線に輪島に向かい、七尾からはずれたことも、やや高度成長の伸長に乗り遅れた感があったようです。

旧市街の中心を流れる、御禊川も人々が川から遠ざかることから、次第に汚染が進行、町の経済停滞とともに、深刻さを増していったようです。
それに、立ち向かったのは、何よりも地元を愛し、地元で経済活動を続ける、JCのメンバーだった。
地域性を異にするとはいえ、我がNPO法人まちづくり楽会の発祥も私を含めたJCメンバーが含まれており、興味深く説明を受けました。

1970年代から、能登、七尾の衰退に危機感を抱いた人たちで、まちづくりのあり方について、議論百出、学習も含めた様々な取り組みが続けられました。
1986年・七尾マリン構想・として、自立の精神、自らのまちは自ら考え、行動する、市民が楽しむ、目的は住んで楽しいまちづくり・・・と策定されました。
この構想の下に、七尾マリンシティー推進協議会が設立され、能登食祭市場・がオープン現在90万人が訪れる交流拠点になっている。
後ほど訪れると、前方に能登島が望まれる広大な公園から前方に、穏やかな七尾の海が見渡せる。
残念ながら、食祭市場は休館でしたが、海をゆったり眺めながら、午後の一時を過ごした。

1998年七尾まちづくりセンター株式会社、1999年には株式会社御禊川が設立されている。
よりスピードと、実効性をもとめて、一口500万の出資を求めて、株式会社にしたことが、極めて特徴的だと思います。
川の浄化と、地域経済活性化を中心に、此のまちづくり株式会社が、様々な市民団体、行政、地元経済人をコーディネートして取り組んでいると言うのが、七尾市の取り組の核心部分であるらしい。

七尾のまちづくりは、港を中心に河口川の御禊川が縦に右側に職人町、私たちが横切ってきた町だ。
左側に商人町が形成されており、職人町と、商人町を結ぶいくつかの橋が架けられており、橋の架け替えなども、まちづくりに関わる人たちの意向を生かして、行政とりわけ、二級河川と言うこともあり、石川県との協働もあったあったようです。
さらに・能登食祭市場・とJR七尾駅と再開発ビル・バトリア・を結ぶ御禊川沿いの路をシンボルロードとして、位置づけ。、界隈のにぎわいを創出、川の浄化、親水イベント等を川づくりNPOを支援、市民意識の高揚をはかり、コミュニティの再生を目指すと言うことが頂いた資料に掲載されています。
これをプロデュースする拠点として、TMOすなわち、タウン、マネージメント、オーガナィゼーション・七尾街づくりセンター株式会社が旧十二銀行を改修して、貸店舗、研修室、会議場として機能させ、これらを、プロデュースするのが、株式会社御禊川であるとのことです。
出された料理なども、七尾の食材としちりを使った自慢の料理のひとつなのでしょう。
川の浄化に留まらず、地元商店を現代に生き生きと再生させ、多面的にプロデュースする、この株式会社は、画期的、近々黒字化のようですが、まちづくりプロデューサーとして、利益を上げていくのは難しいと思いますが、ここまでリードしてきたのは、矢張り先進的、であり、画期的でした。今回の研修の意味も大変大きいものになりました。

森下奈美社長に案内され、現地の町並みを散策、老舗の皆さんが語り部として、突然の訪問ながら、快く応対して頂いた。

4代目と言われる時計屋さんは、シンボルロードを交差するも古い町並みの角地に立地する店です。
ご主人には、ゴールデンウィーク、能登最大祭礼の青柏祭で運行される・でか山、と言われる山車について語って頂くと共に、山車を回転させる方法と、その際謳われる祝唄等をご披露頂きました。

和蝋燭、香木等を商う老舗にもご案内頂きました、古い蔵づくりの店舗も、リニューアルされて魅力的な佇まい。
上品で人の良さそうな、この家の奥様と思われる方でしたが、丁寧に和蝋燭のご説明を承ける事が出来ました。、しばし歓談、皆さんそれぞれ和蝋燭などをお土産に。
私たち関東地区では、和蝋燭の使用は殆どありません、西洋蝋燭と言われるものしか
目にすることはありませんが、ここら辺にも、北前船の物流と、生活文化の豊かさを感じさせられます。
お話しを交わさせて頂いた奥様の、我々をお迎え頂いた人となりにも、そんな文化の香りを感じさせるものを、垣間見る印象でした。

干物を中心に商う、重厚な蔵づくりの老舗にも立ち寄りました、しちりを使った一夜干しの魚やイカを購入、今夜は宿の冷蔵庫に入れよ、とのこと、どうしたものかと思いましたが、自宅に戻って頂くと、うーん旨い・・・。

ひとしきり、まちづり楽会のメンバー一同、この古い港町を散策、初夏の緑と海風を楽しみながら、しちり亭へ戻り、午後のコーヒーと、クレソンの入ったケーキを頂きました。
雑談に加わった女性は、森山奈美社長の御母様、彼女は、初代社長の跡を継承した、二代目、若女社長とのこと。
比企と畠山守護大名の関わりなどを語り、我が娘を温かく見守る御母様に辞去して、この町を後にしました。

今夜の宿泊地は、既に書いた、氷見と七尾の富山と、石川の県境、富山湾を望む台地に建てられた、和風民宿・サンんヒルズ能登さん、あちこちに、掲げられている、太陽と雲と海をテーマに写された写真は、この家のオーナーのものらしい。
早速、やや塩辛い温泉につかり、富山湾を眺めながら露天風呂は実に贅沢だ。
地元の魚と食材に拘る和の宿の面目通り、魚も、今日取れたものしか使わぬというこだわりの通り、秘かに期待した以上のものでした。
仲間がカラオケも用意、いつになく、酒もすすみ、この研修旅行のもう一つの楽しみも
大いに感じる事が出来ました。
ご主人に伺うところによると、件のホームページ、読売なんとか大賞受賞とのこと。
まちづくりにしても、ビジネスにして然り、コンセプトをしっかり確立することが、多くの支持を受ける、大きなポイントだと言うことを、改めて感じさせてくれました。

この研修旅行は、リーズナブルにして、最大容量の、研修がコンセプト、早めに立ち、和倉温泉経由、穴水、から奥能登、途中ボラ漁の櫓を見ながら珠洲市へ、外海岸線を輪島に向かう。
天然塩製造地へ立ち寄り、曽々木海岸、千枚田を遠望、やがて輪島に入る。
残念ながら、正午を過ぎたと言うこともあり、朝市は片付けが始まっていた。しばし散策、定食屋で旬の甘エビの定食などに、舌鼓。
漆器工芸セーターへ立ち寄る、見事な漆器工芸品はまさしく美術工芸品、うん百万の調度品、どんな方が購入されるのでしょうか。
裏日本などとは、呼称するのは僭越だなと思う、関東地区の方が、そう言う意味では、裏日本でありました、嘗ては。
蝋燭やさんでお話しさせて頂きましたが、俗に・くだらない、との言葉は、関西が上方であった時代、関東の生産物は、くだらないもの。
くだる、上方のものが上等だったことに所以する言葉なのです。

門前町の、総持寺を拝観、明治期消失、川崎鶴見の総持寺は、ここから移ったもの、明治期再建され今日に至っている。
昨年の、能登大地震の震源地、所々、被害が出で居り、再建中の建物もある。総門は無傷かと思いましたが、よくよく見ると、屋根の庇部分がやや下の部分に干渉してしまっている。
これの修復には、まぁ、大変な費用と技術がいるのだろうと、心痛む思いでした。
道すがら、ヤセの断崖に向かう、ここは、松本清張ゼロの焦点で最終章に登場する地です。途中の海岸道路も崩落、片側通行爪痕は深い。
帰宅後も、土産の旨い魚に、旨い酒を堪能したけれど、一泊二日1200`の研修旅行は、中身満載ではあるが、年を重ねるに従い、少しばかり、疲れが残るのも否定できません。
しかし、ノーペイン、ノーゲイン、良い刺激を受けて、私たちも、また走りだしましょう。

2008年6月8日、石川 邦夫・記

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